おじいちゃんの話

はじめまして、こんにちは。

ヒロです。

 

私の母方のおじいちゃんのお話を書きます。

母や、叔母から聞いたおじいちゃんの戦争の話です。

 

❊戦争を肯定するものでは決してありません。

❊断定的な言い回しを用いていますが、すべて伝聞です。

 (戦争がなければ、おじいちゃんはもっと幸せな暮らしができていたと思います。)

 

おじいちゃん=きたろう

 

きたろうさんは、戦争で中国に行きました。

雪の降る寒い地方でした。

移動には、手作りのスキーを用いていました。

きたろうさんのスキーはよくできていて、表彰されました。

 

ある日、きたろうさんのスキーを上官が黙って使いました。

そのことで、きたろうさんは上官にくってかかり、ケンカになりました。

 

きたろうさんは、第一歩兵分隊の軍曹でした。

その分隊は、中国をでて、船でフィリピンに向かうこととなりました。

しかし、上官とのケンカが原因で、きたろうさんはフィリピン行の船に乗せてもらうことができませんでした。

 

きたろうさんは、そのまま中国に残り、捕虜となります。

捕虜といっても、シベリアにおける捕虜とは比較すると、恵まれた生活を送っていました。

 山を越えた村で食べた肉まんや月餅がとても美味しかったそうです。

 

 戦争が終わり、きたろうさんは無事に帰国することができました。

そして、祖母と結婚し、私の母が生まれました。

日本に帰ってきたあとも、月餅が大好きでよく食べていました。

 

おしまい。

 

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 以下、私の感想です。

 

もし、きたろうさんが、

とても良いスキーを作ることもなく、

表彰されることもなく、

上官とケンカすることなく、

フィリピンに向かっていたら、

祖母と結婚することもなく、

母が生まれることもなく、

私も生まれることはできなかったと思います。

 

フィリピンでは戦争で、とても多くの方が亡くなったとききます。

きたろうさんも、そのひとりとなっていたかもしれません。

 

きたろうさんは、帰国後、亡くなられた戦友の方々を偲ぶため、

数年に一度はフィリピンを訪れていました。

 

最後に、戦争で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈るとともに、

おそらく天国で月餅をほおばっているきたろうさんを想います。